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怖い話の魅力

修学旅行などの友人やクラスメイトと行く旅行や、自分の家ではない場所で寝起きする機会になると、人はなぜか怖い話を持ち寄って怪談を始めます。怖い話は怖いものとわかっていても怖い話を開陳します。この「怖い話をする」という行為にはどのような心理が働いているのでしょうか?

怖い話の魅力とは何か

怖い話の中には、「他人に話すだけで怪異が来る」性質を持っているものも時折見受けられます。そういった危険性のある怖い話であればあるほど場が盛り上がると考える人も居ます。それほどまでに怖い話を求める心理にはどのような目的があるのでしょうか。




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怖い話とは恐怖を感じる手段である

人間には、恐怖を感じることでより強く生を感じることが出来る本能を持っています。そのため、あらゆる手段で恐怖を得ようとするのです。怖い話も、恐怖を感じるための手段と言えます。しかし、必要以上の恐怖は本能によって拒絶されるのは自然界を見ればわかることです。必要以上に恐怖を求めることは、草食動物が肉食動物に風上から近づくことと同じなのです。

「メメント・モリ」と「葉隠」

「メメント・モリ」と言う言葉があります。メメント・モリの意味はラテン語で「シを想え」、「生には必ず終わりが来ることを忘れるな」という自省を促すものです。日本には武士道の教典として知られる「葉隠」があります。「武士道とはしぬことと見つけたり」で知られる書物ですが、後世の研究では武士階級の処世術を説いたものであることがわかっています。しかし、「葉隠」が本当の意味で書きたかったのは「シを通して人生をよりよく生きることを考える」と言うことであるのは疑いないでしょう。こういった考え方をシ生観といいます。

怖い話とは「メメント・モリ」の一種である

「怖い話」とは非日常の不条理な話です。そして人がその一生を終える原因には、病だけでなく突発的で非日常なものもあります。つまり、私たちが怖い話をするのは「不条理な最後」に備えるための「メメント・モリ」なのです。怖い話とは、不条理を仮想体験する一種のバーチャルリアリティとして機能してきたのです。だからこそ、江戸時代の怖い話には町人階級より絶対数が少なかった武士の体験談が多いのでしょう。「葉隠」が説いた武士道では「主君や家族といった、愛するものの為に命を投げ出す覚悟をすることが大事」とされています。怖い話は、武士階級にとっては娯楽であると同時に覚悟を養うための訓練だったのです。

怖い話のもう一つの側面

「怖い話」は「メメント・モリ」という精神修練であると同時に、「話す事・聞く事が楽しい」という側面を持っています。友人という気心が知れた間柄の相手と、同じテーマについて語り合うことは楽しいものです。しかし、怖い話はそもそも恐怖を煽るものです。にもかかわらず、怖い話をすることがなぜ「楽しい」と感じてしまうのでしょうか?

恐怖を感じようとする本能

人間にはいくつかの本能が存在しています。生命や健康を保とうとする「生存本能」、自身の遺伝子を将来に残そうとする「自己保存本能」、そして破滅に自分から近づいていきたいと考える「自己破壊願望」です。この自己破壊願望は、ギリシア神話のシを司る神に準えて「タナトス」と呼ばれます。このタナトスこそが、人々が集まると怖い話をしたがる理由でもあるのです。

恐怖の先にある楽しさの正体

タナトスにはヒュプノスという兄弟がいて、ヒュプノスは眠りを司っています。ヒュプノスが司る眠りが人に夢を見る楽しさを与えるように、タナトスの司るシにも、一種の楽しさが存在しています。人の脳は、苦痛を感じると脳内物質を分泌して苦痛を和らげようとします。その効果は末期医療に使用されるレベルの鎮痛剤よりも強いと言われています。タナトスの働きで危険に近づく人の脳からも、この脳内物質が分泌されているとも言います。つまり破滅に近づいていくことが、脳と本能の働きで「楽しい」と感じさせられているのです。

日常にあるタナトスの誘い

タナトスは、怖い話をするときにだけ働くと言うわけではありません。日常の様々な場面で衝動と言う形で働いているのです。車を運転している時の制限速度以上のスピードを出したくなる瞬間や、夏休みの宿題に追われている時の「別にいいか」という気持ちになる瞬間に、タナトスが私たちに働きかけているのです。そして、仲間や友人が集まって夜を過ごす時に、怖い話をしたがるのもタナトスの働きなのです。


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人はなぜ怖い話に魅かれるか










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