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百物語

昔から、「集まって怖い話をしていると“寄ってくる”」と言われています。そのため、怪談は厳禁という風習を持つ地域も少なくありません。しかし、「やるな」と言われればやりたくなるのが人間の心理です。そういった怖い話の持つ性質を利用して行われるのが百物語なのです。

百物語とは何か

百物語は、読んで字のごとく「百の物語を語り合う会合」です。しかし、百物語で語られるのは普通の物語ではありません。全てが「怖い話」なのです。参加者がそれぞれに怖い話を持ち寄って、100篇の怖い話を作法に従って語り合うのが百物語なのです。




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百物語の作法とは

百物語は、ただ100篇の怖い話を持ち寄って語り合えばよいと言うものではありません。一種の儀式的な取り決めの元に行われるイベントなのです。古式の百物語は、一定の作法に従って行われます。新月の夜を選んで、参加者は一箇所に集まります。この時、参加者は「青い着物」を「逆合わせ」にして着てくることが求められます。集まった部屋には青い紙を巻いた行灯と、百本の点火した灯心を用意します。行灯は別の部屋においても構いません。参加者はそれぞれの怖い話を語り、一話語り終えたら灯心を消化していきます。これを百回繰り返し、100話語り終えたとき何かの怪異が起こるのです。

簡略化された百物語の作法

ただし、この方式は江戸時代ごろに簡略化されます。行灯はともかく、百本の灯心を用意する手間や服装の指定などが面倒であることが理由のようです。江戸時代以降の百物語の作法は大幅に簡略化され、「参加者が一つの部屋に集まり、100本の蝋燭を灯し一話語り終える毎に蝋燭を一本消す」というものに変化したのです。

百物語の目的とは

百物語の肝とは、「怖い話を百話集め語る」ことで怪異を呼び出すことにあります。そのため、99話目で終了ということにすることも珍しくないようです。本当に呼び出せる怖い話と言うものは本当にごく僅かなのですが、「塵も積もれば山となる」の例え通り集めれば集めるほど相乗効果で呼び出す力が強くなるようです。

百物語が呼び出す怪異とは

江戸時代の百物語は、武士階級が好んで行っていたと言われています。当時は太平の世であったため、鍛えた剣を振るう機会がなかった武士たちは、「何時何が起きても対応できる胆力を鍛えるため」と称して百物語を行っていたようです。しかし、「百物語を行いどんな怪異に出会ったか」という記録はほとんど残されていません。おそらく、仲間内とは言え怪異と出会ったことで晒した醜態が明らかになるのを嫌い、詳細な記録をほとんど残さなかったのではないでしょうか。

書物で体験する百物語

百物語を行うには、複数人を集め場所を用意しなければなりません。そういった難しさに悩んでいたのは江戸時代でも変わらなかったようです。そこに登場したのが「読む百物語」と言われる根岸鎮衛による「耳袋」です。「耳袋」は、一冊に付き100話の怖い話を集めた一種の随筆集で全10巻の構成になっています。つまり、「耳袋」一巻を一夜で読みきれば百物語を行ったのと同じになるのです。現代で耳袋といえば「新耳袋」が有名ですが、オリジナルはこの根岸鎮衛の耳袋になるのです。また、「新耳袋」も1冊99話の構成になっているので、怖い話を1話自分で用意すればそれだけで一人百物語が出来るということになっているのです。

百物語で呼び出された怪異と渡り合った話

しかし、数少ない百物語完遂後の記録の中にはどのような怪異が現れたのかが詳細に記されているものがあります。それが「稲生物怪録」です。

数少ない百物語の後日談「稲生物怪録」

「稲生物怪録」は備後国(現在の広島県)三次藩(現在の三次市)の武士・稲生武太夫が友人と共に百物語を行った後、30日間に渡って続いた怪異と武太夫の根競べを綴ったものです。この30日間の怪異は稲生武太夫自身の手によって手記として残され、後年に日本史にも名を残す国学者・平田篤胤の手によって編纂され「稲生物怪録」として世に広まっていったのです。

「稲生物怪録」に描かれた百物語の怪異とは?

平田篤胤は、「古事記」「日本書紀」などの日本古来の歴史や文化を考察した研究で知られていますが、神霊の実在についても研究していました。神隠しにあって神仙の世界で修行した少年からのインタビューをまとめた「仙境異聞」、転生の実例を取り上げた「勝五郎再生記聞」などの著作にも、篤胤の姿勢は表れています。そんな篤胤が、習俗として盛んに行われながら記録の残りにくかった「百物語の怪異」の実例を取り上げないわけがなかったのです。では、「稲生物怪録」に記された百物語の怪異とはどのようなものだったのでしょうか?

稲生武太夫と怪異の30日間

武太夫が最初に出会った百物語の怪異は、「大入道」「一つ目小僧」を思わせる巨大な手を持った髭の男でした。武太夫は連れ去られそうになるも寸での所で難を逃れます。それ以後、様々な妖怪変化が入れ替わり立ち代わり武太夫の前に現れます。しかし、どんな妖怪も武太夫の肝の座り様に根を上げてしまいます。そして30日目、武太夫の元に現れたのは山本太郎左衛門(さんもと・たろうざえもん)という妖怪の総大将でした。太郎左衛門は武太夫の胆力を褒めたたえ、友情の証として木槌を武太夫に贈りました。その日以来、武太夫の元で怪異が起こることはなかったといいます。

「稲生物怪録」のその後

「稲生物怪録」には、武太夫の30日間は1769年に起きた実際の出来事として記録されています。その証拠として、武太夫の子孫の元には「稲生物怪録」の原本と太郎左衛門から贈られた木槌が残っているのです。舞台となった三次市では、現在「稲生物怪録」で町おこしを行っているのです。


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怪異を呼ぶ百物語










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