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自ら恐怖を求める人たち

世の中には、怖い話を取り扱ったさまざまなメディアが氾濫しています。体験談を取り上げた月刊誌や、心霊写真の解説や霊能力者の霊視が売りのテレビ番組、ラジオから流れる怖い話、怖い話が集まるウェブサイトから話を集めた本とまさに百花繚乱です。なぜ、これほどまでに怖い話に人が群がるのでしょうか?

なぜ怖い話に自分から近づくのか?

怖い話の中には、噂を元に心霊スポットを訪れて恐怖体験をしたり偶然撮った心霊写真を見せびらかしたりして怖い目にあうといった体験談が存在しています。怖い話で恐怖を仮想体験できるのに、なぜ実体験しようと考えてしまうのでしょうか?




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人間は慣れる生き物である

人間には、「慣れる」という能力があります。たとえば、最初は誰でも自転車に乗ることは出来ません。補助輪付きから外して徐々に自転車を運転する感覚を覚えていきます。一度自転車の乗り方を覚えれば、数年間のブランクがあってもすいすいと運転できます。これが「慣れ」というものです。そして人間は恐怖に対しても慣れてしまうのです。

慣れの効果と弊害

慣れが生まれてくると様々な効果と弊害が出てきます。一度慣れてしまえば、忘れにくくなります。自転車の乗り方や、九九はその代表格といえます。しかし、慣れてくればくるほど注意力が向かなくなっていきます。慣れてしまうといわゆるルーチンワークになってしまい、失敗をしてしまう可能性が高くなっていくのはこの為です。怖い話を聞いたり集めたりしていくうちにこのような慣れが生まれ、「自分でも体験してみたい!」と考えるようになってしまうのです。

集団化することで生まれる心理

また心霊スポットに行って怖い目を見たという体験談の場合、ある共通点が存在しています。それは「友達や仲間が集まっていること」です。「赤信号 みんなで渡れば怖くない」というように、人には「集団心理」が働きます。一人では理性や自制心が働くので出来ないようなことも、集団になれば容易にやってしまえるようになるのです。「皆がやっているから」とか「自分だけやらないのは仲間はずれになる」と言った心理が、理性や自制心やモラルを吹き飛ばしてしまうのです。

勇気と無謀の取り違い

また、集団心理とは別に心霊スポットなどでは無謀な振る舞いを行うことがあります。「俺はこれだけ勇敢だ! バチなんて怖くない!」というような行為をして、その後大変な目にあうことも少なくないのです。俗に「勇敢と無謀は違う」といわれます。では、何が勇敢で何が無謀なのでしょうか? 一般に、「勇敢」という言葉からは英雄のような尊敬できる響きがあります。つまり、「モラルや常識の範疇で、誰かがしなければならないことを進んで行う」のが勇敢です。逆に「無謀」とは「常識的に考えて行わないようなこと、自分の実力に見合わないことを行う」ことです。つまり、自分の勇敢さを示そうとすることは無謀な振る舞い以外の何物でもないということなのです。

怖い話の体験者になりたがる理由とは

心霊スポットを訪れたり、「自分には霊感がある」と言ったり、アルバムから心霊写真に見える写真を探したりする人には、いったいどのような行動原理が働いているのでしょうか?

恐怖を見くびる心理

人というものは、何人かで集まれば自然と気持ちが大きくなって大胆な行動をとることができるようになるものです。そうなると、多少のことで驚かなくなるのでどんどんと恐怖へと近づいていくことも出来るのです。また、心霊現象に否定的な態度を取る人の中には「心霊スポットでの心霊現象は集団ヒステリーである」という考えを持っている人も居るので、安易に心霊スポットに近づいてしまうようです。

大丈夫だという心理

なぜか、人は「自分は大丈夫」という感覚に基づいた行動をしてしまうものです。夏休みの宿題を終わり際までやらない、国語は漢字の書き取り以外しない、その他諸々の危険な行為を軽い気持ちで行ってしまうことは経験があると思います。心霊スポットを訪れる人たちも、そこの場所にまつわる怖い話を聞いていても「自分だけは大丈夫」「自分にはそういうことは起こらない」と考えてしまうのです。

自称霊感持ちの証明

思春期に差し掛かると、「自分は周りの人間とは違う!」という意識が芽生えてきます。この状態を俗に「中二病」といいますが、この時期は「自分には霊感がある」と言い出す人も居ます。学校生活の中では、怖い話は恋愛話や芸能人の話に並ぶ話題なので「霊感持ち」の子は周りから一目置かれることも多いのです。本当に霊感を持っている人は、その分だけ気苦労が多くなるのかあまり人には話さないものですが、自称霊感持ちの人は出来るだけ沢山の人に言って回り、それが本当であるように振る舞います。だからこそ、自称霊感持ちの人は自ら怖い話の体験者になり、「霊を自分の力で祓った」ことにするために肝試しなどに積極的にかかわりたがるのです。

非日常への高揚

民俗学において、「ハレ」と「ケ」という概念があります。日常が「ケ」、祭りなどの非日常が「ハレ」で「ケ」を生きるうえでの活力が欠乏することが「ケ枯れ」で「穢れ」に通じるというものです。祭りは経済効果だけでなく地域住民が日常生活を行う上で不可欠なものなのです。非日常な体験をすることは日常生活をしていく上で重要なことなのです。しかし同じ非日常な体験でも、祭りが正の「ハレ」であるなら心霊スポットを訪れるなどの怖い話に近づくことは負の「ハレ」であるといえます。自分から怖い話に近づくということは、そういった性質の違いを認識せず、非日常に近づく高揚感を楽しもうとしているのです。


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